昨日の東京12ch「農地は誰のものか?」番組。高木美保なんかがでていて、耕作地 放棄の問題とそれを耕そうとする都市住民の挫折の物語の取材。農地(日本の国土)は特定利権集団の専有物となっているのだ。でもテレビ東京が定年後の農業 に焦点を当てていたのは、問題の本質をぼかしていたと思う。趣味的農業への新規参入が同じく趣味的農業であるなら、なんの意味もない。
日本の耕作放棄の農地は全国で膨大な面積。食糧自給率が低下しているから日本の農業 を保護しなくてはならないと農業団体は主張するが、貴重な農地を「儲からない」とか「体力的に追いつかない」とかで放置している農民に第一義的な責任があ る。どうして放棄農地を第三者に賃貸(もしくは譲渡)しないのだと聞かれて、放棄農家の主人は「そう簡単に人の手に渡すわけにはいかない、敵対問題であ る、ワシの作ったもんが売れなくなる」とエゴイズムの言いたい放題。
中 高年の三人が定年後農業をやりたいとして千葉県に農地を探す。適当な農地が2000万円程度で見つかり、定年退職者は絶対買いたいというが、不動産屋はそ れは不可能だという。農地を買える資格は現在農業をしている人に限られるからだ。ましてや企業の農地取得は完全に禁止されている。
農外関係者は農地は「買いたいけど買えない」状況、一方で「売りたいけど売れない」農家もいる。現在の農地法は完全に時代遅れである。
で も散人はこの番組には非常に不満足であった。定年退職者が自己実現のために農業をやるというのは、余りにも現在の日本の農業が安易で楽であるから、年寄り でも無理なくやれると判断しているためだ。それを承知しているからこそ、農業団体は楽な仕事は自分たちだけの専有物としようとしている。トンでもないこと だ。農業をやる以上は、都会のサラリーマンと同じように生きるか死ぬかの覚悟でやるべきだ。甘すぎるのである。
現 在の日本農業は、現在の状態であれば、定年退職者とかフリーターとか、はっきり言って死ぬ気で勝負する覚悟がない人が、これなら自分でも出来ると思って参 入しようと考えるような代物なのである。趣味的農業、園芸農業そのもの。だから第三者には解放しない。余りにも安易である利権的職業であるからだ。
農 水省は年末の農地法改正に、一般都市住民への小規模農地については農地取得を認める方向で改正原案を作るという。トンでもない見当違いだ。サラリーマンの 定年退職者が農業に参入しても、日本の農業の国際競争力は一切向上しない。これは農水族が自分のシンパを増やそうとして(あるいは農地の販売を容易にして 農家の不労所得を増やそうとしての)政治的に持ちだしたものにすぎず、日本の農業の根本的問題である劣悪な生産性の改善には何らつながらないものである。
日 本の農家は、戦後の農地解放で「耕すもののために」という名目で、ただで手に入れた農地を、高価格で販売することで、多大の不労所得を得てきた。そのこと によって彼等は日本の新たな資産家階層を形成しつつある(武田泰淳夫人の『富士日記』をみよ。土地成金となった農民たちは「一億なんかはカネとは言えな い」と豪語していることが、昭和30年代に既に武田百合子によって記述されている)。それは都市住民の犠牲の上でのことだ。かれらがまっとうな資本家にな ればまだよかったが、自分の資産は農協と郵便局に預けるだけという、日本経済には何ら貢献しない非生産的資本家に留まっている。
このような、いかさまの農地法の改正では、日本の将来はただひたすらに愚民政治と愚民資本主義に陥る以外無い。